富士高天原

神々の遺産「富士高天原」

             

1. 忘れられた神々の歴史

私の書いたインターネット小説「長寿王国」に登場してくる古い日本の歴史を書いた「宮下文書」をもう一度開いてみた。 すると武田信玄埋蔵金と共通点が出てきた。
何とこのキャンプ場のある場所は6000年前の神々の住む「高天原」そして600年前は南北朝時代の南朝の隠れ大本営そして信玄はその秘密を後世に残すために泉と金を埋めた・・・という実態です。 この事は次に紹介する2冊の本に詳しく書いてある。何も私が勝手に想像したことではない。

(1)日本の神朝時代 加茂善三著
(2)隠れ南朝史  加茂善三著

共に富士地方史料調査会発行 電話で注文 TEL 0545-52-3058

宮下文書(加茂氏解読)によると高天原の歴史はおおまか次の様になる。
今から6500年程前、はるか西方の地より神々が日出る国の富士の地にやってきた。 神と呼ばれる彼等は富士山の麓に宮殿を作り、そこを高天原と呼び、その地は宇宙野(うつの)と言う。 一時は神の人口も十数万人にも達し、富士一帯は神々の都として栄えたという。 天照大神もこの時代(6000年前)の女神であった。古事記に登場する「天の岩戸」もこの地にあった。
 ところが今から5000年程前一部の神が「三種の神器」を持って九州に独立して日本を治めることになった。 三種の神器は政治を行う道具であったからだ。 しかし残りの「十種の神器」(トクサノシンキと言う)は人類の命や健康を司る神器であり、これは富士の残る神々の使命であった。 そして富士の神々は世界の人類の健康を守る事になったのである。 九州の高天原はその後(今から2600年前)人類の天皇に政事を渡し、神皇から人皇の時代に入り、現在の天皇に引継がれている。

2. 2000年前までいた神々はどこに行ってしまったのか?

そして今から2200年程前中国の秦の始皇帝の使いで除福という男が「不老長寿」の薬(水)を求めてこの富士高天原に来たのである。 そして彼は長寿の国「蓬莱国」を建国したが西暦800年の富士山の噴火で滅亡してしまった。
除福の記録は2000年前に初めて漢字で書かれた中国の「史記」にかいてある。 この時除福に会ったのは全身ウロコに覆われた竜の目を持つ神(王)であった。 何と2000年近い前まで神は富士に居たのである。 しかしその後神々はどこに行ってしまったのでしょうか。 神は滅亡する事は有り得ないのに。 これが今後の人類の研究テーマでしょう。 私の予想では「羽衣伝説」や「かぐや姫」にある様に神々は月に帰ったのではないでしょうか。 実際月は神々がこの地球に来る時に乗った宇宙船という説もあるのですから。 月面はいつも同じ位置を地球に向けて行き来しやすい様になっているのも不思議です。 とにかく神はどこかに居て人類を見守っていることだけは確かです。
しかし宮下文書に書かれたこれらの史実も証拠となる物が無いため”ウソ”と決めつけられています。 せっかく解読した先生達も証拠は富士山の噴火で埋もれてしまったと片付けるので信用されていません。

3. ついに高天原の証拠が見つかった

本当に噴火で埋もれたのでしょうか。 6000年前といえば富士山が大噴火のさなか、その時代に神々がアブナイ場所に住むでしょうか? 当然安全な西麓を選ぶでしょう。 今までの学者は全員東麓の山中湖付近を高天原にしています。 ところが何とキャンプ場内の地層からは富士山の噴出物はほとんど無く、1万年前の古富士の地層が出ています。 1万年間安全な地だったのです。 当然神々が選ぶ高天原は富士西麓にあったのです。 ちなみに高天原の事を「宇宙野」(うつの)と呼びます。 キャンプ場の住所は内野(うつのと読む)です。 そして調査した結果とんでもない結論に至ったのです。 西富士オートキャンプ場は高天原の中心であった-という事実です。
まず天照大神(アマテラスオオミカミ)の隠れた岩戸(地図参照)は信玄が埋蔵金を隠しただけで無く、 その詩に書かれた開き方が神話の「天鈿女命(アマノウズメノミコト)が裸になって大切な所を打ちながら舞ったら天の岩戸が開いた」と一致したのである。 そして本当に少しづつ100トンの巨岩が動いて開いていきます。 この奇蹟はだれもが否定できません。
そして次々と見つかる「しし岩」(写真)やスフィンクスの「ライオン岩」(写真) この周辺はすべて人の手の加わった構築物だらけでした。 どうして今まで知られなかったのか。-それは南北朝の戦い以来当地は隠れ南朝の地として他国の人の立ち入りはさせなかったからです。 私が当地でキャンプ場を作ったのも地元の人たちは奇蹟と言ってます。

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