富士高天原

宮下文書により高天原を実証する ― 6千年の時を超えて蘇る長寿王国

             

6千年の時を超えて蘇る長寿王国

宮下文書により「高天原」を実証する 四年程前から、私は水の研究のため、富士山に昔あったという「長寿王国」を求めて富士山周辺の調査をはじめた。確かに富士山には人類に理解出来ない神秘性が秘められている事が分かった。そして、神々の創造による高天原は富士山麓に存在し、そこに不老長寿の理想郷があったことを知ったのだった。そもそも高天原とは不老長寿の楽園を指しているのではないか。宮下文書によれば神々の最初の富士山訪問の内容は次の様になっている。

日出る国の楽園を求めて

世界の祖神となる高皇産霊神は、日出る国の蓬莱山(蓬莱とは会いに来るの意味)に不老長寿の楽園がある事を知り、五男の国常立尊を調査のために遥か東海の蓬莱山に派遣した。しかし、国常立尊からは何の連絡も無く数十年が経過した。心配になった高皇産霊神は、七男の国狭槌尊を連れ、蓬莱山目指して旅立つ事とした。

一行は、能登半島に上陸し、富山(記録によると、富山には野生の米が自生していた)から高い山に登ったところ、遥か彼方に蓬莱山の姿を確認した。早く飛んで行ってみたい。との思いから、その地を「飛騨高山」と呼ぶ様になったと言う。

しかし道も無く、一行は大変な行程となった。そこに多数の猿(原住民か)が集まって来て一行の道案内をし、鹿(馬のことか)に乗って蓬莱山を目指した。長い旅の末、遂に蓬莱山に到着し、まずは愛鷹山麓に仮の住まいを構えた。その地を住留家(スルガ-駿河)と呼んだ。そこには先住民がいたが、同じ太陽と月を崇拝する信仰から、彼等とは仲良く暮らす事が出来たと書いてある。そして一行は先住民から神と呼ばれる立場になった。

愛鷹山麓に到着した一行は、国常立尊が道に迷って西日本の淡路島にいる事を知り、お互いめぐり会う事に成功した。この事から「蓬莱山」と呼ぶのかもしれない。この蓬莱山は国狭槌尊により、この世に二つと無い山の意味で不二山と名付けられた。(現在の富士山の名称は西暦800年の大噴火からと言われている) 再会を喜びあったのもつかの間、国常立尊は長年住み慣れた淡路島に戻る事となり、この時より、琵琶湖から東を国狭槌尊が、西を国常立尊が治める事とし、東西分治の時代となった。 30年程愛鷹山麓で過ごした高皇産霊神一行は、富士山麓の高原に登る事となった。そこは四季がはっきりとして、気候温暖な不老長寿の理想郷のため、高天原と呼ばれた。

国狭槌尊高天原で大土木工事を行う

宮下文書によると、国狭槌尊の功績として、次の様な記述がある。

高天原に着いた国狭槌尊は富士山麓の耕地の狭さから、一大土木工事を皇子の泥土煮尊、大戸道尊、面足尊,尾茂太留尊、イザナギ尊の五神に命じた。それは、皇居近くの尾太礼(オタレ)山と宇津峰(ウツノミネ)の間の谷を切り割って、宇宙湖の水を放流し、浮上した湖底を耕地にする工事だった。この五神は日本建国の神々といわれており、神々総勢で取り組んだ工事といえよう。神話の日本の国造りとは、この事をいっているのかも知れない。
この工事を行ったところ、今度は隣の背の海(昔は本栖湖、精進湖、西湖、河口湖が一体となって背の海と呼んだ)の水位が下がってしまい、背の海から流下していた天川(芝川)が涸れ、下流の現在の富士宮市一帯は水不足に陥って住民は困窮した。

そこで国狭槌尊は第二の土木工事として、富士山と天子ヶ岳の間の割石峠の石を切り割って水を流し、北原、中原、南原を拓いた。これを万野原と言う。これらの地名は現在も残っている。この土木工事は現在の技術をもって行っても大変困難なものと思われる。 この内容について検証してみよう(図参照)。土木工事の跡が未だ残っている筈だ。今迄は富士山北東側に高天原を設定したため、(確かにそれらしい名称は沢山あるのだが)その痕跡が見つからない。これは富士山噴火によって、溶岩に埋もれてしまった、と説明してきた。

しかし良く考えてほしい、水路を造るのは、山や高台を削るのであって、溶岩の流れる谷や窪地は削る必要が無い。ならば山を削ったあとは溶岩に埋もれずに残っている筈だ。場所の想定が間違ってるのではないか。 良く考えてみたら、それは私の身近にあった。私がキャンプ場を始める時から不思議な事が一つあった。それはキャンプ場の下の芝川沿いにある高さ15メートル程の垂直な岩の崖だ。この崖はここの1キロメートルだけで、ほかの場所には無い。私は当初地主から「この崖は富士山の七不思議といわれ、昔学者が調べたが、一万年位前の溶岩である事は分かったが、何故崖がここの1キロメートルだけあるのかは、謎のままだった。この下流には不思議な物が沢山有る」と聞かされていた。 

[写真1] 崖の写真

崖の岩を見ると、川の浸食ではなく、人の削った人工的な割れ方だ(写真1)。
一直線の割れ目や正確に直角を出した割り方、更にキャンプ場の川に下りる所の崖には、ライオンの彫り物すらある(写真2)。これは間違えなく人造物だ。でも何故この様な崖を造ったのだろうか。不思議でならなかった。
これで謎は解けた。宮下文書の記述を見ると、山を削った場所は、皇居のある高座山西側の宇津峰山と尾太礼山の間とある。

[写真2] ライオンの彫り物

キャンプ場の東には高座山と思われる上部が平な丘があり、キャンプ場の場所は天の岩戸がある事から、宇津峰山と思える。(天の岩戸は宇津峰山麓の金山跡と書いてあるので)西にある田貫湖のある山を尾太礼山とすると。宮下文書の記録と一致するではないか。これは大発見である。遥か6000千年前の人類の建造物が見つかった。それも1キロにも及ぶ巨大なものが。私も未だほんの一部しか見てない。この壮大な建造物の全容を見た時、人々は驚駕の世界に陥るだろう。それ程凄い。どうして今迄不思議と言いながら、それ以上関心を持たなかったのだろうか。この方がもっと不思議だ。
水を抜いて耕地にした宇宙湖は、この崖の上流部の猪之頭地区になる、調べてみたらここは湧水群となっており、昔の湖の湖底と思える。さらに、最深部らしい痕跡が猪之頭小学校裏に芝川の川幅が50メートル程と、広くなって残っている。

宇宙湖の南にあった阿祖湖は、キャンプ場の南にある内野の田園地帯と思える。ニニギ尊と木花咲耶媛尊の出会いの地、笠砂の岬は此処の東側の丘がそれらしい。当時は、朝霧漂う高天原で、木花咲耶媛尊が花を摘んでる姿にニニギ尊が一目惚れしたと書いてある。ここの地名は今でも内野(ウツノと読む)になっている。そして、この下流に万野原がある。
ここ迄解ると高天原全体が見えて来た。

高天原全容が明らかになる

[写真3] 高座山

宮下文書の記述から、高天原全容が解ってきた。
まず皇居があった高座山だが、現在の静岡県畜産試験場の南東にある上部が平な台地がそれと思える(写真3)。更に南側の景色は、世界に二つと無い天国図が展開される。中央の駿河湾の東が伊豆半島、西が三保の松原と臨め、天国としか表現しようのない景色だ。確かに、高天原は天国だと実感する。 高座山が位置づけられると全てが解ける。イザナギ尊が婦人のイザナミ尊の死後その亡骸に会いたくて御陵までいったところ、死骸を見られたイザナミ尊は怒って化け物となって追いかけてくる話が文書に書いてある。この時、桃を投げ付けて化け物を追い払い、その御祓を近くの「白蓮滝」で行った。以後、皇居を訪れる者は必ず白蓮滝で身を浄めてから入ることとした。その場所を祓原と呼び、現在は原という地名が残っている。
この白蓮滝とは白糸の滝だ。イザナギ尊、イザナミ尊の御陵は滝の南西にある、現在富士宮農業高校のある山と思われる。この山からの景色も素晴らしく、高天原天国図といえよう。

[写真4] 天母山(アンモヤマ)

次に、事代主命の住居であり、月夜見命が隠居後住われた「加茂山」が文書によく登場するが、この場所は富士宮市の天母山(アンモヤマ)に間違いない(写真4)。木花咲耶媛命の母、加茂沢媛命(事代主命の長女)の産まれた場所が加茂山の麓の加茂沢と書いてあるが、これも蒲沢という地名で現在残っている。ニニギ尊と木花咲耶媛尊の霊石がある山宮浅間神社(神武天皇が霊石を天の岩戸から山宮に移した)もこの天母山の麓にあるし、大山津見命を祀った「大山津見霊社」が山宮浅間神社の少し上にある。ここが大山津見命の御陵となる。是等のことも宮下文書の記録と一致する。

[写真5] 天照大神御陵

天照大神尊の御陵は高座山西側の麻呂山の中室に祀ったと書いてある。これは現在猪之頭入口のバス停がある東の山が麻呂山と思われ、ここの玄室にあたる岩戸がバス停のすぐ横にある(写真5)。ここも金山の岩戸と書かれており、実際に岩の隙間から冷たい風が出てきて、奥が洞窟になっているのが解る。

[図:クリックで拡大] 高天原全体の地図

ニニギ尊と木花咲耶媛尊が祀ってある御陵は、キャンプ場のある山だ。文書には宇津峰山の麓の金山の岩戸に祀ったと書いてある。キャンプ場内の岩戸前には金を精錬した跡もあり、昔の金山とも思われ、岩戸はその玄室だ。是等も文書と一致する。さらにここは、天照大神が隠れた「天の岩戸」でもあり、この周辺は遺跡が多い。昔の祭事の中心だったことがうかがえる。 以上が私の調べた内容だが、この他にも周辺に不思議な遺構が沢山あって、誰でも世界遺産級の発見ができます。民家の庭先にも何かが掘ってある不思議な石があちこちにあります。地元の人達が言うには、私のキャンプ場のある所は「あそこはいい石が出る所だよ」との事だった。 私の解った高天原全体を地図にまとめてみた(図参照)ので参考にして下さい。高天原の解明、是非皆様にもお手伝いお願いします。キャンプ場で待っております。

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